外国人にも警戒心が強いと書いたがラクイラの経済が潤ったことも確か

やれジェノバ人はけちだとか

福音書にあるような質素な生き方に戻ろうと唱えたことでキリスト教会から弾圧された信徒が最後に逃げ込んだ窓のない城砦なのだ。
信者1100人が集団自決するというカタリ派悲劇のドラマがそこにはあった。
がなぜ二五文字の回文このを城砦に刻んだのだろうか。カタリ派と言えば、ヴェローナでも1111世紀に異端カタリ派の者たち合わせて約二六〇人がローマ時代の円形闘技場で火あぶりの刑になった史実がある。
このヴェローナでも市内の中心回文が見つかっている。に位置する館の庭で「シークレット·メッセージ」私はこの回文に込められたの解読にますます興味をおぼえたのだった。
回文キリスト教以前にもあったこのとき私の疑問はさらに奥があった。
このAであるアルファと0であるオメガの語彙が、·キリストが生まれた後に書かれイエス新約聖書ではなく、イエスが生まれる前にどこかで使われていないだろうか、というこたとだった。
なぜそう考えたのか……。「サン·ピエトロ·アドゥ·オラトリウム」教会の門番が私に語ったひと言を思い出したからだ。
「この回文と同じものが、ポンペイの近くのヘルクラネウムの遺跡にもある」ポンペイと同様にヴェスヴィオ火山の噴火により西暦七九年にヘルクラネウムという町は、失われた町であった。
町の歴史は紀元前四世紀頃まで遡れるほど古い。そのヘルクラネウムの遺跡からこのカペストラーノと同じラテン語で書かれた回文が見つかったということは、この二五文字のフレーズはイエスが生まれる以前に存在していた可能性がある。
やはり、私の疑問は的中した。イエスが生まれる前に書かれた旧約聖書を調べると、イザヤ書四四章六節に次のような一節が含まれていたのだ。
「イスラエルの王、これをあがなう者私は最初であり、私は最後である。
私のほかに神はない」万軍の主はこう仰せられる。ヨハネの黙示録新約聖書のはイエスが生まれた後に書かれたものだが、それより古い旧約聖書にも、私は最初で最後である。
私のほかに神はいないという文言がすでにあったのだ。旧約聖書神」「ヤハヴェエホバである。
ローマで顔を合わせ

ローマ帝国領として奪還されたのでした

では、回の中におけるとはが示す世界を作った神」が「ヤハヴェということなのだろうか。
文さらに、門番が語っていた紀元前一二年ごろに栄えたシリアのドゥラ·エウロポス遺跡からも同じラテン語の二五文字が発見されたことも事実だとわかった。
ここはユダヤ人が建てた多くの神殿やシナゴーグが見つかった場所である私は、回文について抑えきれない好奇心がどんどん湧き出すのを感じた。
アブルッツォ·コード現代のようなグローバルな時代ならわかるが、紀元前の人びとはどのようにしてヨーロッパ回文を伝承したのだろうか。
歴史の栄華の跡というものは、それがほとんど見各地にこのえなくなっていればいるほど、妙に何かを告示しているような気がするものだ。
アブルッツォ·コード私はそれを勝手にと名付けた。われらの父とは誰なのか。隠れキイエス·キリスト誕生以前に各国に広まったまるで的アイデアである。
迫害のようなものから身を守るために、回文に願いを込めてリシタン密かにまことのを祀り、その神に祈りを捧げていた信者たちがいたのではないかと連想したのである「シークレット·メッそれを信じる者たちが、それを信じない者たちから身を守るためにとして各地に伝承したと考えるのは私だけだろうか。
セージ」15文と雄牛を屠るミトラの像ソドムとゴモラポンペイ遺跡の町の中心部には、旧約聖書に登場するの名前が木炭で落書きされている。
酉暦七九年に噴火で壊滅する以前、当時の人びとが旧約聖書の物語を知っていたということは、ローマから南へ約1100キロメートル離れているポンペイでは、成立して間もないキリスト教はまだ力を持ってはいなかったと考えられるだろう。
一神教のキリスト教が広がる以前の古代ローマ社会においては、多神教が基本であった。
だが、それと似たような一神教の宗教がローマを中心にイタリアにはあったのではないだろうか。
キリスト教が正式にイタリアで認められるのは西暦三一三年だからである。
というのも、1100年もの長い間正式に認められなかった理由がほかに見当たらないのだ。
先述のヘルクラネウムの地下遺跡で見つかった回文のそばではさらに、男がまたがったか牛をナイフで殺す姿の彫刻が見つかっている。

 

イタリアで被害にあう日本人が多いせいなのか

ホテルのエレベーターで別のお客さんに出会ってボンジョルノそれは雄牛を屠るミトラの像と呼ばれている私は、回文のそばで発見されたこの雄牛を屠るミトラの像が、古代ローマにおけるキリスト教以前の一神教の存在を探る鍵になるのではないか、という気がしてならなかった。
ミトラ教の存在その答えは、日本に帰国後、ある友人が教えてくれた。
その友人とは、東京に住むイタリア人の宗教学者マルコニオイ氏である。
謎が膨らみ、ま·るで底なしの泥沼に入り込んでしまったかのように感じていた私は、好奇心を抑え切れずにマルコに電話で尋ねたマルコ、聞きたいことがあるの。
キリスト教の祈りで”天にましますわれらの父”と言うときの、って誰なのかしら”父”「それは大変難しい質問で、電話で簡単には答えられるような問題じゃないよ」では、行くしかない!
私はすぐに彼の家を訪れた。そこで彼が語ってくれた話は、私をさらに不思議な世界へと誘ったのである。
質問の答えはね、とはもちろんではなく地球をつくった目に見え”父”イエス·キリスト”それは人でもなくカタチがあるものでもなく、説明することは難しい。
ない”神”のことだよ。たとえば、あなたは曾おじいさん、さらにその前の曾々おじいさんの顔を知っている?
顔はきっとわからないでしょう。もっともっと昔はさらに誰から生まれたのかさえわからない。もちろん家系図があっても、それはある時代までしか遡れない。だけど今、あなたがここにいるってことは誰かがいたからあなたがいるんだよ。
その誰かは誰もわからない。
フランス語のみ

一体どうなることやら神とは誰にもわからないし、何であるかもわからない。でも確かにいる”のです。それが神です。その神と呼ぶ日本人はいるけど、でも、”自然”神はもっと目に見えないものだと僕は思うを「そうね、マルコの言っている意味はなんとなく理解できるわ。
それから、もう一つ聞きたいのだけれど、ポンペイ近くの教会の遺跡で発見された回文があるの。
それは二五文字でできていて、左右どちらから読んでも、また上下どちらから読んでも、また逆さまに読んでもSATと読めるものなの。
このことにっOPERAORAREPOROTAS”TENETいて何か知っている?」「僕はその回文の話、興味があって随分前に少しだけ調べたことがあるけど、ポンペイにあったのは知らなかった。
結局何なのかはまだ謎なんだ」私、そのポンペイの遺跡近くで見つかった回文のそばにがあるって”雄牛を屠るミトラの像”聞いて、それと何か関係があるように思えてならないの「あ、その彫刻ならミトラ教のシンボルだよ」ミトラ教?
ミトラ教は、紀元前一世紀頃から紀元五世紀頃までローマ各地で広がっていたんだ。
キリスト教徒との戦いに敗れてミトラ教信者は殺害されてしまったけどね。
もちろんミトラ教の神殿も破壊された。当時のキリスト教徒はそのミトラ神殿の上に教会を建てたから、今でも教会の地下にミトラ教の遺跡が残っていることがよくあるんだ。
たとえば、ローマで一番有名なのはサそこには牛をナイフで刺すミトラ像のレリーフがン·クレメンテ教会の地下にあるものだよ。
2教会にもミトラ教の地下礼拝堂があった。ある。

メッカにてイスラム教が発祥します


他にはサント·ステファノ·ロト,一般には公開されていないけど、ヴァチカンの地下にもミトラ教の遺跡があるんださらに彼はこう続けた。
「ミトラ教はキリスト教と似ているところが多いんだ。礼拝や聖体拝領といった儀式、聖水の使用などがそう。ミトラの誕生を羊飼いが祝ったというエピソードや、ミトラ神の生誕日が111月二五日で、それを祝祭日としている点もそう。
クリスマスはもともとミトラ教のお祭りなんだ。でもこうした話をすると、今のキリスト教世界の教育に混乱をきたすから、大きな声では言えないんだよ。
もし、ミトラ教がキリスト教に勝っていたら、キリスト教に代わって世界的宗教の座に就いていたかもしれない」何か秘密の花園を覗いてしまったような気がしてならなかった。
マルコの家を後にしてヨーロッパにおける宗教の歴史を私なりに振り返ってみた。
ミトラ教からキリスト教へ受け継がれた「シークレット·メッセージ」古代ローマ人の宗教はギリシャ人と同じく多神教であった。
例えばギリシャの最高神のゼウスはローマではジュピターであったし、ギリシャの美の神のアフロディーテはヴィーナスであった。
あるいはエジプトの女神イシスはそのまま受け入れられていた。さらに一神教であるユダヤ教も受け入れられていた。ペルシャで発生し、ゾロアスター教の太陽神と書物によると、マルコのいうミトラ教とは、同様、太陽神ミトラスを主神として人気を博した宗教とある。
古代ローマ帝国へ流れ、帝国内の軍隊に人気のあった神だった。
フランス正規軍が五大湖より上の植民地には駐屯していた

イタリア国内で売れたのは四三五台

コーヒーが全く駄目と言うフランスロアール渓谷のアンボワーズ城で没するのでしたキリスト教の発生とほぼ同時期にその姿を消したといわれるが、ミトラ教の習慣と教義の一部はキリスト教へと受け継がれたようだ。
魂の不滅や最後の審判、さらに死者の復活を信じる点も共通している私は、点と点が線になったような、ぼんやりしていた画像が鮮明になったような気がした。
ということは、われらの父という言葉は、回文に隠されたキリスト教のキーワードであるが、実はミトラ教のキーワードでもあったと言えないだろうかキリスト教は、紀元1世紀の設立当初はローマ帝国の側からはユダヤ教の異端程度にしか思われていなかった。
ミトラ教はイエスが生まれる前からすでにあり、その頃から迫害されていたと考えられる。
三世紀に軍人皇帝の時代に入ると社会の混乱は増し、キリスト教が信者を増やしていく。
すでに迫害されていたミトラ教と、台頭を恐れたローマ帝国からやはり迫害され始めたキリスト教の信者は、地下の墓地カタコンベで集会を開くようになる。
互いに信じる神回文を公の場で祈ることができないために、の中に隠すしか術がなかったのではないだろう5私は、われらが父」「父が示しているのは、の地球に住んでいる人間や樹木にエネルギを与える光、太陽を指しているのではないかと思った。
それがなのかもしれつまり密かにローマの軍人や貴族、商人たちの間で広まった。
男性のみ信者となれるミトラ教は、壁画や彫刻がポンペイやローマの教会地下に多く残る、雄牛の角をつかむ男性の姿。
それこそ太陽の神、ミトラであった。キリスト教もミトラ教も迫害という運命を辿りながら人びとに受け入れられていく。
どちらも入信の儀式を必要とし永遠の生命を説いた。来世での救済があると思えば、抑圧された不安におののく人々の心をとらえたのは不思議ではない。